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東京高等裁判所 昭和46年(ネ)904号 判決 1972年11月17日

控訴人 佐々木聡

右訴訟代理人弁護士 田原俊雄

榎本信行

被控訴人 社会福祉法人のぞみの家

右代表者理事 モートン・ヒュー

右訴訟代理人弁護士 鈴木稔

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。控訴人が被控訴人の児童指導員たる地位を有することを仮りに定める。被控訴人は控訴人に対し、昭和四二年四月二六日から毎月二〇日限り金二万五、一二〇円あてを仮りに支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述及び証拠の関係は、左記のほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一、控訴人の主張の追加

1  被控訴人の控訴人に対する本件解雇の意思表示が不当労働行為であるとの主張(原判決四丁表八行目以下)に、次のとおりつけ加える。

「被控訴人が、控訴人のした組合結成準備活動を知り、かつ、不当労働行為意思を有していたことは、橋本保母等が山崎園長から控訴人と接触することを禁止されたこと、控訴人や橋本保母等から、組合を組織しようという話合(原判決五丁表六行目ないし一〇行目参照)について呼びかけを受けた保母吉田玲子がその後終始被控訴人側の立場で行動したこと、及び、被控訴人が、その主張のとおり(原判決一五丁裏一行目ないし五行目)、昭和四二年二月一一日控訴人を主任指導員に任命し辞令まで交付しておきながら、その後日ならずして、後述のように特段の理由もないのに本件解雇を強行するに至ったことによってもまた明らかである。」

2  右解雇の意思表示が解雇権の濫用であるとの主張(原判決六丁表末行から同丁裏二行目まで、及び、同一六丁表一行目から二二丁裏一行目まで)に、次のとおりつけ加える。

「(一) 被控訴人は、控訴人が被控訴人の職員としての適格性を欠いていると主張し(原判決七丁裏七行目以下)、原判決は控訴人の具体的な行動として合計一〇の事実を認定している(原判決三二丁裏六行目以下)。しかし、右の認定は誤っており、その詳細を各個の事実について述べると次のとおりである。

(ⅰ) について

控訴人は、児童に対し後片付けをその任意に任せる指導方針をとったことは全くない。控訴人は、強制ではなく、正に児童の自主性を基調とした片付けの指導を行なったのであって、これは指導員の専門性、裁量性の範囲内として許されることである。また、職員会議で控訴人の指導方針が問題になったり注意をうけたことは一度もない。

(ⅱ) について

控訴人は、一部の児童にテレビを見たり漫画を読むことをたびたび許可したことはなく、山崎園長から当時注意をうけたこともない。学習は指導員の中心的責務で、その裁量の中で処理していたものの一つであるが、児童がテレビ番組に関心をもって勉強意欲がおきない時、その時間を一五分ないし三〇分おくらせて、本当に意欲を持ったときに集中させることは、ある時には必要であり、そのような裁量権の行使が、解雇の理由となることはあり得ない。

(ⅲ) について

控訴人が児童に、私物のテレビを見せたのは一回のみであって、それはNHKの立川澄人司会「音楽は世界をめぐる」という真面目な番組であり、しかも園長も当時了解したものである。なお、職員会議でテレビ視聴について細部まで決定していたというのは事実に反する。

(ⅳ) について

音楽指導を受けることは、職員会の決定ではないし、控訴人は被控訴人の音楽指導の方針を無視したことはない。控訴人は、たんに他の保母が入浴中の児童を音楽にかり立てるのを傍観したにすぎず、かかることが一々解雇理由になるいわれはない。

(ⅴ) について

職員会議で、認定のような内規がきめられたことはないし、六才の幼児を認定のように一人で帰えした事実もない。

(ⅵ) について

これについては、吉田保母は、大浦指導員の付添ならば映画見物のための外出を許可する予定であったが、児童はこれを拒否し、園を無断で出て、控訴人の自宅を訪問し、映画にゆくというので、控訴人は、児童のみ行かせることの危険を思い、止むをえず付添っていたという前提事実が全く無視されているのは不当である。なお、山崎園長自身、担任に無断で児童を自動車ショーに連れ出した事実があり、このこととの均衡上からも、この事実を解雇理由の一とすることは疑問である。

(ⅶ) について

山崎園長が当時二階から制止を指示したのは、控訴人に対してではなく、日直の先生に対してであり、控訴人は、後日、園長から「貴方もバイクでおいかけてくれればよかった。」といわれたにすぎない。

(ⅷ) について

この点は、かりに事実としても、解雇理由として考える程の重大事ではない。

(ⅸ) について

認定によれば、エレキギター演奏について、児童から申入れがあり、全職員の意見を求めた結果、児童の真情をくみ演奏を認めたことが明白であって、このように園で許可したことが、何故控訴人の責任と結びつくのか明らかでない。次にその際の控訴人の言動は、「自分の努力で生徒の要求が認められたことを喜び、これからも、生徒の要求で適切なものはとり上げていきたい。」という趣旨のものであった。仮りに、控訴人に認定のような言動があったとしても、それが解雇の理由になると考えるのは、全くおかしい。なぜならば、単に個人の意見を強行したのではなく、生徒の要求に基づいた意見が園の方針として決定された上、実行されたのであって、そのようなことを積極的にとり上げる方針を顕示したからといって、園の秩序が乱されるわけではないし、特に、控訴人は指導員である以上、指導上の意見や要求を活発に展開することは、むしろ当然のことであるからである。

(ⅹ) について

会議の席でボールペンの切りかえをしたり、腕組みなどをすることは、日常の常識からといっても、個人の癖としてあり得ることであり、かかるさ細なことまで一々解雇理由として評価されては、正に人権問題である。また、会議のたびに認定のようなことをやっていたような認定であるが、挙示の証拠によれば認定のような行為があったのは、特定の一、二回の会議にすぎないのである。

(二) 次に右の認定の多くは、控訴人が被控訴人園の職員会議の決定に違反したものとしている。しかし、認定のような決定があったかどうか曖昧なものが多い上に、決定といっても、その内容、範囲が不明確であって、ある行動がこれに反するのかどうか判然としないものがほとんどである。しかも、被控訴人園においては、なるほど定期的に職員会議が開かれてはいたが招集、議題提案権者は、少数の場合をのぞいては、常に園長ないしその夫人であり、しかも、その議題は多くは、決定の伝達、命令に終始していて、討議が中心をなすことはほとんどなかったものである。いってみれば、職員会議は、園長の意思伝達機関であって、合同の意思の決定機関ではなかった。時に意見をいうと、発言を封ぜられることもしばしばであった。したがって被控訴人園の職員会議が全職員の自由な提案、討議を基調とした民主的雰囲気で行なわれており、その決定は全職員の一致した意見方針として成立したものとは到底いえないのである。このような次第であるから、仮りに控訴人に職員会議の決定に反した行動があったとしても、それが当然に、被控訴人が不適格事由として挙げる、指導上の遵守事項違反及び運営方針の無視、反抗に当たるものと判断するのは誤りである。

(三) 被控訴人は、控訴人が他の職員との協調性ないしチームワークを欠いていると主張し、原判決もこれにそって、控訴人が被控訴人園の職員全体とあたかも敵対関係にあるような認定をしている。しかし、証拠をし細に検討すれば、控訴人との関係で協調性が問題にされたのは、第一に園長であり、第二にはその夫人であり(但し右夫人は施設での資格について疑問がある。)第三には吉田保母であり、第四には大浦職員である。一二、三人いる職員のうち協調性が問題になるのはこの四人であり、園長及びその夫人をのぞいたいわゆる職員は、単に二人にすぎないのである。なお、仮りに控訴人のみがチームワークの破壊者であって他の職員には何等問題がないとすれば、他の職員は、全員残存し和気あいあいと勤務しているはずである。しかし、事実は、これに反し、本件解雇後、一、二年を経ないで、二、三の職員をのぞいては、ほとんど園を退職しているのであって、この事実は、職員間のチームワークの破綻の原因が控訴人の側にのみあったのではないことを推測させるものがある。

なお、控訴人は、被控訴人園に収容されている児童との関係では、何ら破綻を来すことはなかったのであって、控訴人の協調性を問題にするのならば、この点をも含めて判断すべきである。

(四) 被控訴人の主張及び原判決の認定は、控訴人の指導員としての専門性とこれに由来する裁量権についての正当な評価を欠いている。すなわち、被控訴人のような児童福祉施設での教育や生活指導については、一定の秩序が必要なことはいうまでもないことであると同時に、それが児童生徒にとって日常の起居、勉学、遊び、その他の全生活の場であることから、一方において柔軟性、弾力性もまた必要であって、一旦きめた内規とか勉強時間とかは、一分一秒の狂いもなく実施することによってのみ目的を達するというものでなく、ある時には家庭がそうであるように、一定の変化と柔軟性を持たすことも、運営の重要な要素といわなくてはならない。従って、被控訴人園において全体的、かつ個別的指導を任務とする指導員にとっては、学校教育にもまして裁量なり専門性の働く余地がより大きくなりこそすれ、狭くなる道理はないのである。例えば、学習時間にしても、内規で夜一時間ないし一時間半ときまっていても、実際、勉強の進行状況(特に受験期や、宿題処理の場合は顕著であるが)によっては、時間を繰り下げたり、あるいは、中間で休憩をとって、より能率化をはかることが適当な場合もあるのであるが、この程度の裁量も許されず、内規とか、決定を杓子定規に押しつけるときは、かえって児童生徒に混乱、動揺がおきかねない。

また、児童生徒に対する具体的指導に当たっては、学習その他の専門領域においては指導員の意見が優先するのが当然であるが、その他の領域において指導員と保母その他の職員との意見の不一致があった場合に、指導員のいうところが常に間違いであるとはいえないのであって、指導員の専門職としての立場からする意見は、十分考慮されて然るべきものである。そうして、被控訴人は(なお、原判決もまた)、控訴人と保母その他の職員との間に対立があったようにいうが、その多くは、指導員としての児童生徒の処遇に関する職務上の意見のくいちがいにすぎない。そうして、このような意見のくいちがいを調整することは、本来、園長の職責であるから、その失敗の責任を一方的に控訴人に転嫁することは、控訴人の職務の専門性からみて相当でない。

(五) 被控訴人は、控訴人の職務に対する熱情、職務遂行力及び指導能力を十分に評価肯定していたのであって、それだからこそ昭和四二年二月一二日控訴人を主任指導員に任命し、控訴人の児童生徒に対する態度を賞揚して辞令をも交付したのである。被控訴人は、右の任命は名目的なもので、かつ、控訴人の反省と努力を期待してしたものであると主張するが(原判決もこれを肯定する。)、もしそうであるならば、任命に際しそのことを明示するのが当然であるのに、被控訴人は何らそのようなことをせず、かえって、それから二か月もたたないうちに本件解雇の意思表示に及んだのであって、この事実は、明らかに、本件解雇の恣意性を示すものである。

(六) 右(一)ないし(五)に述べたところと、原判決が認定した控訴人にかかる一〇の事実が仮りに認められたとしても、それらは、何人にもあるさ細な欠点ないし手落ちに過ぎないものと認められることから考えると、本件解雇は、控訴人の指導員としての資質や勤務上の欠陥を理由とするものではなく、山崎園長の控訴人に対する個人的な反感から出た恣意的なものであって、解雇権を濫用して行なわれたものであることがいよいよ明らかである。」

二、被控訴人の主張

1  控訴人の前記1の追加主張事実はすべて争う。控訴人の主張は、要するに原審での主張のくりかえしにすぎず、被控訴人としては原審で述べた以上に付加するところはない。なお、付言するに、山崎園長は、控訴人の投稿の件を、昭和四二年三月二九日夕方控訴人に転職をすすめた際、同人から言われて初めて知ったものであって、この点に関する原判決の認定(二六丁裏五行目ないし九行目)は誤りである。

2  控訴人の右2の追加主張もすべて争う。なお、山崎園長の妻泰子は、草苑学園高専を卒業して、池袋のすみれ幼稚園に教諭として勤務していたところ、昭和三六年四月一日、当時理事長兼園長であったモートン・ヒューの要請により、被控訴人園に書記として採用され今日に至ったものであって、その職員としての資格に関しては、何も問題はない。

三、新しい証拠≪省略≫

理由

一、被控訴人は児童福祉法による養護施設として、社会福祉事業法に基づき設立された社会福祉法人であって、職員一三名、収容児童定員五〇名の規模を有するものであること及び控訴人が昭和四一年四月一日被控訴人に児童指導員として雇われたことは当事者間に争いがない。そうして、被控訴人が控訴人に対し解雇の意思表示をした経緯は、原判決二四丁裏五行目から二五丁裏一行目までに認定説示されているとおりであるから、これを引用する。(但し、人証の表示の次のかっこ付の数字は、すべてこれを削除して引用する。以下同じ。)

二、そこで、右解雇の意思表示の効力について考えてみるのに、控訴人は、まず、右意思表示は不当労働行為であるから無効であると主張する。しかし、当裁判所もこの主張は認め難いものと判断するが、その理由は次の1ないし5のとおり付加訂正するほかは、原判決が二五丁裏九行目から二七丁裏末行までに説示するところと同一であるから、これを引用する。

123 ≪証拠訂正省略≫

4 同二七丁裏九行目の次に行を改めて次の一段を付加する。

「4 控訴人は当審において、被控訴人が控訴人のした組合結成準備活動を知り、かつ、不当労働行為意思を有していたことをうかがわせるものとして、更にいくつかの事実を主張する。しかし、そのうち、まず保母吉田玲子が控訴人や保母橋本京子等から控訴人主張のような呼びかけを受けたことを認めるに足りる疎明は何もない。次に、被控訴人が昭和四二年二月一二日控訴人を主任指導員に任命したことは当事者間に争いがないが、右任命の経緯は後に認定するとおり、必ずしも、被控訴人が控訴人の勤務成績等を評価したことによるものではなく、他面、本件解雇には、組合活動ということを念頭におかないでも、被控訴人において控訴人解雇の挙に出ることが無理もないと思われるような、十分の理由、動機があると認められることも、これまた後に認定するとおりである。また、≪証拠省略≫によると、昭和四一年五、六月頃控訴人は山崎園長から、右橋本等と園外で会わないように、と注意されたことが一応認められるが、右山崎証言によるとそれは控訴人が当時結婚間もなくの頃であり、また橋本等は独身の女性であったので、控訴人が橋本等と園外の喫茶店等で合うときは無用の誤解を生ずる虞れがあることを慮ってした注意にすぎないことが明らかであり、しかも、当時控訴人において橋本等と組合結成準備活動をしていたと認め難いことは右1(原判決二五丁裏九行目から二六丁表七行目までを指す。)において述べたとおりである。他に、山崎園長が控訴人と橋本保母等との接触を禁止したことを認めるに足りる疎明はない。従って、これらの事実は、被控訴人が控訴人の組合結成準備活動を知っていたこと及び被控訴人の不当労働行為意思の徴憑としての意味を持つものとはいえない。」

5、同二七丁裏一〇行目の「したがって、」を「以上の認定によれば、控訴人が組合結成準備活動その他労働組合の正当な行為をしたことについても、また、被控訴人が控訴人の右行為の故に本件解雇の意思表示をするに至ったことについてもいずれも疎明がないことに帰するから、」と訂正する。

三、控訴人は、更に前記解雇の意思表示は解雇権の濫用であって無効である、と主張する。当裁判所は、この主張もまた失当であると判断するが、その理由は、左記1ないし5のとおり付加訂正するほかは、原判決が二八丁表一行目から四四丁表九行目までに認定説示するところと同一であるから、これを引用する。

1、2、≪証拠訂正省略≫

3、同三二丁表五行目から同丁裏五行目までを、次のとおり改める。

「(ⅱ) ところで、指導員の職務は専門的性格を有し、従って、指導員は、児童生徒の指導に当たって、専門職にふさわしい、一定範囲の裁量が認められるべきことは当然であるとしても、前認定の被控訴人の設立目的、規模、組織、及びそこでの指導の方法、内容等(特に、指導が家庭に代わる保護者の立場で、児童等の日常生活の指導を受け持つ保母等の活動と密接な連繋の下に行なわれるものであって、具体的な指導方針が職員会議の討議を経て定められるものであること)にかんがみれば、指導員としても、右設立目的や職員会議できめられた指導方針に従い、他の職員、特に保母等と密接なチームワークを保ちながら児童等の指導に当たらなければ到底指導の成果をあげえないことは、見易い道理である。仮りに職員会議で採用された指導の方針ないし方法が、指導員の専門的意見によれば、批判の余地のあるものであったとしても、園長に対する意見の具申ないしは職員会議で討議等を通じて、自己の専門的意見を全体の指導方針に反映させた上で、専門的識見に基づく指導方法の実現を図るのは格別、かような努力をしないでおいて、職員会議できめられた方針等をことさらに無視し、全体のチームワークを乱すやり方で、いたずらに自己の職務の専門性ないし裁量余地を主張することの許されないことは当然である。」

4、同四〇丁表三行目の次に、行をあらためて左のとおり付加する。

「なお、控訴人は当審において右各事実の認定を争い種々主張しているけれども、右(ⅰ)ないし(ⅹ)の各事実は挙示の各証拠によっていずれも疎明があったものと認めるのに十分であって、≪証拠省略≫のうち、右認定と牴触し控訴人の当審における供述に符合する部分は、すべて右各証拠に照らし採用できない。なお、山崎園長自身が担任に無断で自動車ショーに連れ出した旨の追加主張にそう控訴人本人の供述(当審における)は、≪証拠省略≫と対比して信用できない。従って、控訴人の当審における追加主張も、すべて採用のかぎりでない。」

5、同四〇丁表三行目から四二丁裏九行目までを次のとおり訂正する。

「(4)、(ア) 右(3)に認定した事実のうち(ⅰ)ないし(ⅵ)、(ⅷ)ないし(ⅸ)は、控訴人において被控訴人園の職員会議できめられた内規ないし決定事項の形をとる園の指導方針に反する行動をとったことを示している。控訴人は、右内規ないし決定のうちあるものは本来存在せず、また存在すると認められるものにもその内容、範囲が不明確なものが多いと主張するが、右の各事実の認定に供した証拠によれば、それぞれその存在が認められ、またその内容、範囲も、少なくとも、控訴人が、基本において、職員会議の決定等を尊重する精神に立ちさえすれば十分これを認識しうる程度の明確さをもって決定されていたものと認められるから、≪証拠省略≫のうち、右主張にそう部分は採用に値しない。また、控訴人は、職員会議が十分会議としての実質を備えておらず、その決定事項というものも、要するに山崎園長の意思の押し付けにすぎない旨を主張し、≪証拠省略≫のうちには、これにそう部分がある。しかし≪証拠省略≫によれば、さきにも述べたように、被控訴人園の職員会議の雰囲気がしばしば控訴人の態度、言動により害されたことこそあれ、職員会議において山崎園長がことさらに控訴人を含む出席職員の真面目で自由な発言を封じ、その意思を一方的に押し付けたというような事実はなかったことがうかがわれる。≪証拠判断省略≫

(イ)  右(ア)の各事実と右(3)の(ⅶ)及び(ⅹ)の各事実とを合せ考えると、控訴人と被控訴人(主として山崎園長)とは、児童生徒の指導について方針を異にし、控訴人はなるべく児童生徒の欲求をかなえてやり自由に生活させようとする傾向が強かったのに対し、被控訴人はどちらかといえば厳格に生活を規律しようという方針であったこと、しかも控訴人は自己の方針を正しいと確信し、かつ指導員という職務の専門性を強調重視するあまり、被控訴人の職員会議で決められた方針を必ずしも尊重せず、自己の理念、方針によって指導に当たろうとしたこと、そのため他の職員を困惑させその反感をかうに至ったことが一応認められる。控訴人は、山崎園長とその夫人を除けば、控訴人と対立した職員は一、二に過ぎないと主張するが、右(3)認定の各事実とその認定に供した証拠は、右の主張がたやすく認め難いことを示している。

控訴人は、また、控訴人が解雇された後一、二年の間に職員の大部分が退職していることから推しても、職員間のチームワークの破綻の原因が控訴人の側にのみあったのではないことが推測されると主張する。そして≪証拠省略≫によっても、控訴人の退職後一、二年の間にかなりの数の職員が退職していることが認められるが、≪証拠省略≫によれば、被控訴人園にかぎらず、一般に、この種の施設においては、施設の長を除くその他の職員の勤続年数は一年以内であることが著しく多いことがうかがわれるので、被控訴人園において比較的短期間に多数の職員が交替しているということだけから、ただちに、同園における職員間の人間関係の破綻につき山崎園長等の側に責任があるかのように憶測することは相当ではない。

更に、控訴人は、他の職員との関係はともかくとして、控訴人と児童生徒との関係は何の破綻もなかった、とも主張する。しかし、≪証拠省略≫によれば控訴人には、特定の一部の児童生徒と特に密接に接触する傾向があったことがうかがわれる上に、前認定の事実にかんがみれば、これら一部児童生徒との接触は、園の指導方針に反する行動を助長しかねないやり方で行なわれていたことがうかがわれるので、控訴人と児童生徒との関係についても、決して、問題がなかったわけではないと認められる。

従って、この点に関する控訴人の主張も、そのままこれを認めるわけにはゆかないと考える。

(ウ)  ところで、児童生徒の指導について、控訴人の方針と被控訴人のそれと、そのいずれが正しいかは教育的見地においても容易に決定できないものであるうえに、本件はこれを決定するのに適切なところではないからこれを措くとしても、さきにも述べたように、被控訴人のような児童福祉施設内における指導は、一旦職員会議その他所定の方法によって、その方針が決められた以上は、各職員が各自の職分においてこの方針を生かすべく努力し、かつ相互に協力し合いながら職務の遂行に当たってはじめてその成果を挙げることが期待できるものであって、これに反して各職員がそれぞれ独自の方針と姿勢で指導に当たるときは、施設としての成果が期待できぬばかりか、かえって指導の効果が著しく減殺され、ときには弊害を生ずる虞れもなしとしない。

従って、もし控訴人において被控訴人の従前の方針にあきたらず、自己の抱懐する指導上の理念ないし意見によってこれを改めようとするのであれば、園長にその旨具申するとか、職員会議において討議をつくすとかその他それ相応の手だてを構ずることにより、まずもって、職員全体の納得をえて、自己の意見を園の基本方針に反映させた上で、その実現を図るよう努力するのが当然であるのに、右(3)認定の各事実は控訴人がこのような配慮と努力を著しく欠いていることを示すものである。そうして、指導員の職務の専門性も右の判断を左右するものでないことも前記(2)(原判決三一丁表八行目から三二丁裏五行目までを指す。但し、そのうち(ⅱ)は前記3のとおり改められている。)において述べたとおりである。

なお、控訴人は、控訴人とその他の職員との職務上の意見のくいちがいを調整することは園長の職責であるから、その失敗の責任を一方的に控訴人に転嫁することは、控訴人の職務の専門性からみて相当でない、と主張する。しかし、前認定の事実関係によれば、控訴人とその他の職員との意見のくいちがいによるチームワークの破綻は、主として、その他の職員が職員会議の討議等を経て正当に樹立された園の指導方針を忠実に守ろうとしたのに対し、控訴人が自己の専門的意見を職員会議における討議等を通じて園の指導方針に反映させる努力をしないでおいて、直ちに、具体的指導の場でこれを主張しようとしたことによって惹起されたものと認められるので、意見調整の失敗の責任が主として園長の側にあるかのようにいうことは正当でない。

(エ)  叙上の認定判断に、前認定の被控訴人園の規模、職員構成等を総合して考えると、右(3)認定のような行動をくりかえした控訴人は(なお、右の各事実は、その一つ一つをとり上げてみればさ細なことかも知れないが、ここで問題なのは、控訴人が一年程度の在職期間中にこのような行為を反覆累積したことである。)、被控訴人のような児童福祉施設の指導員としての適格性において欠けるところがあるものといわざるを得ず、関係法令とその設立の本旨により、児童福祉施設としての機能を十分に果すべき責務を負っている被控訴人が、控訴人の前記行為の累積を前にして、もはや控訴人との雇傭関係を継続することが困難であると考えたことは、これを是認するに足りる十分な客観的根拠があるものというべきである。

(オ)  なお、被控訴人が昭和四二年二月一一日控訴人を主任指導員に任命したことは当事者間に争いがない。ところで、当事者間に争いのないその当時の被控訴人園の職員の組織が原判決添付別紙(2)職員組織図のとおりであり、また職員の経歴が右別紙(3)職員経歴表(但し、退職事由を除く。)のとおりである事実に、≪証拠省略≫を合せ考えると、被控訴人園においては既に保母について主任、副主任の制度を定めており、その当時吉田玲子を主任保母に、橋本京子を副主任保母に任命したので、これとの均衡上、指導員にも同様の制度を設けることにし、二名の指導員中大浦修は正規の資格を持っていなかったため、いきおい控訴人を主任指導員に任命するはこびになったことが一応認められる。そうして、被控訴人園程度の規模の組織体においては、右認定のような職員の組織上の必要という事情のもとに外形上昇任のような形式をとる人事異動がなされることが往々ありうることを考えると、右の任命は、実質的に控訴人を昇任ないし昇格させるものであって、控訴人の勤務成績等を評価したうえでなされたものと速断することはできないのであって、これによって、被控訴人としては、控訴人が前記(3)認定のとおり、それまで被控訴人園の方針に反する行動をとってきたことを一切不問に付する趣旨をも有するものと認めることは困難である。そして、右任命の経緯、内情を任命に当たって控訴人に明示するというようなことは、人事の性質上考えられないところであるので、その明示がなかったということは右認定の妨げとなるものではなく、≪証拠省略≫のうち、右の認定判断に牴触する部分はいずれも採用しがたいものである。なお、右控訴人本人尋問の結果のうちには、山崎園長が折りにふれて控訴人の勤務ぶりを賞揚したとする部分があるが、控訴人に賞められるに値する行為があればこれを賞讃するのは園長として当然のことであると同時に、非違があればこれを問責するのもまた当然であること、及び勤務成績の評価は全体的に行なわるべきものであることから考えれば右の供述部分は、以上の判断を左右するものではないと認められる。

してみれば、右の控訴人を主任指導員に任命した事実は、右(ア)ないし(エ)の認定判断を左右するものとはいえない。」

四、以上に認定したとおり、本件解雇の意思表示は無効であると認めることができないから、その無効を前提とする本件仮処分申請は、被保全権利について疎明を欠くものというほかなく、事案の性質上保証をもって疎明にかえることも相当でないから、右申請は結局却下を免れない。

従って、これと同趣旨の原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、民訴法第三八四条によりこれを棄却し、なお控訴費用の負担につき同法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 白石健三 裁判官 川上泉 裁判官岡松行雄は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官 白石健三)

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